湯舟

吸って吐いて読んで観る

2020.04.29.Wed

今日も今日とてテレワーク

もう1ヶ月、電車に乗っていないのか.....

 

知ってる人に会って会話をしていないので、本当に自分はこの世界で生きてるんだっけ?という気持ちになる 画面の、インターネットの中にしか個人的な繋がりがないんじゃないかと感じる

 

感情が動くことと心の琴線に触れることのレイヤーの違いみたいのを感じた、ドラえもんのこれ

www.excite.co.jp

 

たとえばポカリのCMとか、心動かされる!みたいなのが最近すごい苦手というかなんか嫌な記憶が呼び起こされるようで心地よくないなと思ったり、何回泣くかしか書いてないような本の広告が嫌いなので、また感動系か...とリンクを開く時けっこう緊張というか辟易していたのだけど、(イヤイヤ言いながら開くんかいってのは置いておいて)いざこの青いビジュアルを見て、言葉を読んでいると自然と涙が出てきてしまった。これすごいびっくりしたんだけど、「どうせ感動させようという魂胆なんでしょ、、」とか思うのって結局すごい恥ずかしいことっていうのもわかってて、でもどうしても、簡単に感動してたまるかってガードしたくなってしまう、っていうのをぐるぐる考えながら、ドラえもんの声というか存在感が感じられてしまって、この広告を作った人の意図を想像する余地もなく、ただただドラえもんが語りかけてきているのだと脳が錯覚しているのか何だかわからないけれど、とにかくドラちゃんの圧倒的な強さに泣かされたんだと思う。(中1の時私はなぜかドラえもんがすごく好きだった)

いっぽうで、書いてあることが自分が求めていた言葉だったからなのかもしれないとも思う。会社の仕事でデザインだったりコードを書いたりしているけれど、何か、人が元気になるような取り組みはしてきていなかったから、自分も何かしなくては、という焦りがあって、署名や支援のための購買はしているけれども、自分が発信する側にならなきゃいけないんじゃないか?みたいなだいぶ痛い自惚れからくるプレッシャー(しかも自分で勝手に作り出して勝手に苦しむというバカみたいな構図)を感じていて、私は誰の役にも立ってないんじゃないか?(もちろん普段から人の役に立っているとそこまで胸をはれないが、仕事では目の前の人たちや使う人の役に立つにはどうすればいいのかを考えて制作をしている、仕事以外ではあんまりそういうことはやっていない)とかウダウダと考えていたからよけいに刺さったのかもしれない。あ、おうちにいてくれたからって、やっぱり家にいるのってよかったんだ、みたいな感じで超安易にストンとくるものがあった。それをドラちゃんが言ってくれてるっていう構図が妙に安心したのかもしれない。

ドラえもんは絶対的に今よりも未来で生まれたという確信が私の中に根付いている証拠でもある気がする。何世紀生まれだったかももう忘れたしなんなら通りすぎてる可能性もあるけれど、それが私にとってのドラえもんという存在の位置付けなんだと思う。今よりも先の未来で生まれた存在であるという確信。そういうキャラクターの強さなのかねえ

もちろんちびうさやちびちびもそうなので、この文脈でのセーラームーン版の何かがあったら同じように感じる可能性はあります。

 

ほかの人が亡くなるくらいなら私が死んだ方がいいのに、、という気持ちが久しぶりにふつふつとわいてきたので要注意週間かもしれないなあ