湯舟

吸って吐いて読んで観る

2020.10.18.Sun

なにか作品をつくっていなくても友達でいてくれると自分が確信をもてる人とばかり会ってしまう。自分がどうあろうが友達だと思っている相手に対して失礼な態度だなと思う。それでも自分が好きな作品をつくっていた頃に仲が良かった人のいる環境で今はつくっていないという事実にいたたまれなくなってしまう。

SNSのアカウントが2つあって片方を全然更新できなくなったのは後ろめたさのせいだ。自分が何も作っていないことへの後ろめたさが急に大きくなった。それは生活費を稼ぐ仕事が忙しくなるのと同じタイミングで存在感を増した。

「私はそれでお金を稼ぎたいと思ってないから、別に仕事をしてお給料をもらってまず1人でいきていく生活を成り立たせるんだ」って言い聞かせていた。

それでお金を稼いでいる人がたくさんいることを、誰かの作ったそれにお金を払っている自分がいることでこれまでよりも強く実感したのかもしれない。

とにかくまた始めないことには何も解決しない。私は自分に対する理想を高く持ちすぎている。

「まず1人でいきていく生活」はもう成立できつつある。転職を経て自分にはもったいないと思うくらい良い環境に恵まれたと思う。会社にも慣れてきて、長く働き続けるビジョンが見えた初めての職場だと気づいて、でもまだ社会人になって10年も経っていなくて、まだまだ短い時間しか働いていないことに驚く。短距離走で考えなくていいんだと思えたことは喜ばしいけれど、同時に道のりの長さに足がすくむ。

60まで生きる人生が私には長すぎると感じる。

私はどう生きている自分が好きなんだろうか。下の名前で呼んでくれる人たちに甘えて、作品を作ってない時間の自分しか知らない人に存在を肯定してもらった気になっている。

何を作れば私は私を一時的に満足させられるんだろう。意味をつけるのはあとでいいから、素直に好きなものを集めにいけば良いのかもしれない。